食べる経済学 下川哲 著
毎日の食事を、経済学のフィルターを通して考える
私自身、農家で生まれ育ち、現在は「農業書センター」という1次産業や食に関する専門書店で働いていることもあり、食に対する問題点を比較的身近に感じているほうだと思いますが、この本を読んで、より自分ごととして、日々の食事と経済問題について考えるようになりました。
著者の下川哲さんは、農業経済学、開発経済学、食料政策を専門とする経済学者です。経済学と聞くと難しく感じる方が多いかもしれませんが、下川さんは、誰もが親しみある「毎日の食事」を切り口にして経済学に触れられるよう書いています。
例えば毎日の食事を組み立てているいろいろな食材たち。それぞれの食材はどこから来たのでしょうか。そして生産にどのくらいのコストがかかっているのでしょうか。このことを考えるだけでも経済学に触れていることになるのです。読み進めると、こうしたコストの問題が環境問題に直結していることもわかってきます。
この本の冒頭で挙げられている例をご紹介しましょう。みなさんは、牛丼1杯を作るのにどれだけの資源が必要だと思いますか。
材料として「牛肉100g、タマネギ70g、米250g、しょうゆ10cc、砂糖小さじ1」です。しかし、本当は材料の他に、「トウモロコシ1.1kg、水560L、1平方メートル以上の耕地」が必要だといいます。そうです。これは、必要分の牛肉となる牛を育てるための飼料や、タマネギや米を育てるための水や土地を意味しています。こう考えると、1杯の牛丼の向こうに、経済と環境の奥深い関係が見えてきます。たった1杯の牛丼でさえ、これほどのコストと環境負荷がかかっているのです。地球上で生きる人間(2021年時点で約79億人)のすべてが毎日食事をするのですから、その影響はとても大きいということは容易に想像できます。
この本にはこうした実例が多く掲載されています。栄養不足と肥満はなぜ減らせないのか、なぜ食品ロスはなくならないのか、など、身近で素朴な疑問にも詳しく触れられていているので、自分の食事についても自然と考えるようになるでしょう。
食事を通して、栄養問題、環境問題、そして経済学へ。すべてをぐるっと見渡すための入門書として大変おすすめです。
【書籍情報】
食べる経済学 下川哲 著
大和書房 ¥1,870(税込)
目次
はじめに
第一部 地球と食卓をつなぐ感覚 「食べる」が形づくる社会
1章 「食べる」と「食料生産」
なぜ「食べる」は特殊なのか?/「食べる」の反応を数値化する/「食料生産」もまた特別なもの/食卓の向こう側を見てみよう/私たちはなぜ実感できないのか
2章 食料市場が社会をつなぐ
食料市場とは?/安くておいしいのは市場のおかげ/日本が自給自足したら/途上国と国際市場の深い関係/市場の発展に分業はつきもの/分業で見えなくなるもの
3章 食料市場の限界
効率性にフェアの精神はない?/市場が力不足な3パターン/最も望ましい「食べる」とは?
第二部 飢える人と捨てる人 「食べる」にまつわる社会問題
4章 避けられない自然の摂理
食品の値段は変わりやすい/農業で安定収入は可能か?/作物は1日にしてならず/気候変動と食料の複雑な関係/国際食料市場がますます重要に
5章 市場が効率的だとしても
「栄養不足と肥満」のどちらも増えている/世界の食料は足りているのに…/貧しい国でも肥満が増えている/栄養不足と肥満は同時に減らせないのか?/「食品ロス」に魚の骨は含まれるのか?/捨てられる日本の食料/世界の食品ロスのパターン/食品ロスの削減は誰のため?/なぜ食品ロスはなくならない?
6章 市場の失敗のせいで
「食の安全性と偽装」という課題/偽装はまだまだ続く/なぜ繰り返されるのか?/「肉食と環境」という悩みのタネ/空気や水がほぼ無料という難しさ/肉の食べ過ぎは安すぎるから?/日本の肉食事情
7章 つきまとう政治的な思惑
途上国ほど農業を冷遇する不思議/農業優遇政策のパラドックス/自国農業の過保護による混乱/正当化される非常時の輸出規制/輸出規制の日本への影響は?/貿易戦争と森林破壊
8章 「人間らしさ」の難しさ
「食べる」はバイアスがかかりやすい?/栄養不足はもっと減っていい/子どもの生死を分ける思い込み/後悔先に立たずの肥満と環境/食の安全への過剰反応/自分の影響力を早とちり/「食料生産」にもバイアスはかかる/なぜか良案が採用されない/肥料を使わない理不尽/まだある厄介な人間らしさ
第三部 未来に向けた挑戦 「食べる」を今より良くするための試行錯誤
9章 自然の摂理に立ち向かう
長期保存と産地リレー/ゲノム編集の可能性/植物や細胞から肉を作る/昆虫食という選択肢
10章 食料市場の限界をふまえて
決め手は相対価格/健康よりも環境の改善に効果的?/アクセスか?それとも需要か?/食品ラベルのツボ/温室効果ガス排出権取引き制度のねらい/DXで安全・安心・サスティナブル?
11章 「人間らしさ」を加味する
「食べる」の状況に働きかける/考えて選択する状況を作る/無意識に良い選択をさせる/「食料生産」の状況に働きかける/期待のし過ぎは禁物
第四部 未来をイメージする 「食べる」から考える未来社会
12章 これからの「食べる」について
「健康的で持続可能な食生活」とは?/必要な変化とコストは?/バランスの取れた対策が大事/未来の視座から考える